ヒトとモノとウツワ ユナイテッドアローズが大切にしていること

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  • 「sulvam」東京ラストショー!
    デザイナー藤田哲平さんが語る、服づくりと未来。
  • 2017.04.20 THURSDAY

〈ヨウジ ヤマモト〉で7年間パタンナーを務めた藤田哲平さんが、自らのブランド〈sulvam(サルバム)〉を立ち上げたのが2014年。「東京ファッションアワード」受賞後にはパリで展示会を行い、今年1月にはイタリアのピッティにて初の海外単独ショーも開催しました。そんな中で発表されたのが、東京でのランウェイは今季が最後になるというニュース。メモリアルとなるラストは、ユナイテッドアローズ 原宿本店 ウィメンズ館の3階で行われました。タイトルは「”MY THANKS TO” supported by UNITED ARROWS & SONS」。真っ白な空間でのショーは、ブランドの勢いはそのまま、感謝にあふれた感動的なものに。いざ海外進出に向けて何を考え、何を目論んでいるのか、藤田哲平さんに展望を語っていただきます。

Photo:Kiyotaka Hatanaka
Text:Maho Honjo

周囲の支えがなければ今の僕はない。

―東京でのラストショー、お疲れさまでした。個性あふれるモデルたちが音楽に身を任せてゆっくりと歩く、印象的なショーでした。つい2日前、今お話を聞いているこの空間で行われたわけですが、あらためてどんな気持ちですか?

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とりあえず風邪を引いて昨日は寝込んでいました(笑)。ブランドスタートから今季で4年目、おかげさまで年々忙しさが増してきて。今年は1月にピッティでのショーもあったので、年末から怒涛の日々。でも全然苦しくなくて、すべてが楽しい。今朝はパチッと目が覚めて「さぁ、切り替えだな」と感じました。まっさらになったこの空間に戻ってきて、さらにその気持ちが強まっています。

―ショーのタイトルは“MY THANKS TO”でした。

今の僕があるのは、周囲の支えがあってこそです。たとえば、〈sulvam〉が海外に出るきっかけとなったのは、2014年「東京ファッションアワード」の受賞がきっかけで、その審査員のひとりが〈UNITED ARROWS & SONS〉ディレクターの小木“Poggy”基史さん。アワードの前からコレクションを見てくださっていた方です。

−小木さんを知るきっかけとなったのは?

雑誌に出ている小木さんを見て、僕が一方的に憧れていました。18〜21歳まで千葉の柏にあるセレクトショップで販売兼バイヤーをしていたんですが、彼がRUN D.M.Cばりのブリンブリンな格好で「スニーカーは革靴のように磨くもの」などとコメントをしているのを見て「カッケー!」と。ヒップホップだからといってルーズなのではなくて、カルチャーとして取り込んでいる。販売とバイイングをしながら、ああ、これがプロなんだと眺めていたんです。

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販売員出身だから、自分の手で服を伝えたい。

−その後、藤田さんは「ヨウジ ヤマモト」でパタンナーをされることに。

洋服のことをゼロから学んだ7年でしたが、「独立して服をつくりたい」という気持ちが強くなりました。保証された環境で不自由なく服をつくるのではなく、デザインも、工場との交渉も、営業も、PRも、全部自分でやりたくなった。最初、パターンを引く机以外には、PCと電話、そしてぽつんと僕だけ。まずはルックブックをつくって、雑誌で調べた〈UNITED ARROWS & SONS〉の住所に小木さんの名前を書いて送ったんです。すると小木さん本人から電話が来たので、飛び上がって喜びました。そのときからのおつきあいです。

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―実際、どんなお話をされたんですか?

小木さんは栗野さんをはじめとした創業者から、ユナイテッドアローズに脈々と受け継がれているファッションの根本を理解して実践している人。僕は、メンズにテーラードは絶対に欠かせないと思っているのですが、シャツやパンツに比べると売れ筋ではないので、オーダーが入りにくい。でも彼は僕の考えを聞いて、「よくわかります。ならばうちは〈sulvam〉をこう見せますね」と構成を考えてバイイングしてくれました。僕、販売出身なので今でもショップスタッフの気持ちでいるんですよ。服は店舗のラックにかかっているだけでは売れません。服の魅力をスタッフの方から伝えてもらわなければお客さまの手には届かない。そういう面で小木さんとの話は意義深いものでしたし、ユナイテッドアローズへの信頼も厚いものになりました。

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sulvamの強みはバイヤーと深くつながっていること。

―ラストショーの会場にUAを選んだのは、どんな経緯があったのですか?

1月にピッティで行ったショーは、レオポルダ駅舎跡という電車の倉庫のような広い空間でした。とてもやりがいがあった一方で、じゃあ東京に場所を移したとき、自分は何がしたいのかと考えたんです。僕は自分の服を「こう着てほしい」と押し付けるのではなくて「思うがままに着てほしい」と思うタイプ。だから都市が変わって空間が変わってモデルが変わるなら、同じようなトライは意味がないし、したくない。そんな話をピッティで栗野さんに話していたら、この会場をご提案いただいたんです。

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実際に見に来て、こんなに打ってつけの空間はないと感じました。ショーは空間、モデル、音楽、すべてが一致しないと成り立たないし、逆にそれが一致すればどんな条件でも成り立つもの。東京をラストにする今の僕が表現したいのは「感謝」なのだから、もうここ以外にはないと思ったんですよね。

―ショーには、ジャーナリスト以外にバイヤーや顧客も多く招待したとか。

誤解を恐れず言うと、ジャーナリストに見てもらいたいわけじゃないんです。だれに見てほしいかというとバイヤーなんです。なぜかというとそれがお客さまにつながるから。僕、評価はいらないんです。こう言えるのは、買い付けてくれるバイヤーと売ってくれるスタッフと買ってくれるお客さまがいるから。今も展示会はひとりで立ちます。そしてバイヤー全員と話をして、信用できる人とだけ交渉します。広がらないっちゃ広がらないけれど、ひとりひとりと深くつながることでうちは成立している。だから感謝を込めて大勢招待しました。この繋がりが〈sulvam〉の強みだと思っています。

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多くの人に服を見てもらいたい。それが海外に出る単純な理由。

―あらためて、海外に活動を広げる理由を教えてください。

バイヤーがいちばん多く集まる場所に行きたい、シンプルにそれだけです。僕は「東京ファッションアワード」を受賞して海外への一歩をつかんだわけですが、そもそもこのアワードは「海外へ渡ったそのあとは自分の足で立とう」というのが支援の目的のはず。ならば今の僕がすべきなのは東京を盛り上げることよりも、海外への道筋をつくって独り立ちすること、さらに継続させること。一発二発の勝負で「パリコレデザイナー」の肩書きをもらうだけなんていちばん恥ずかしい。今、やり方とタイミングを考えて、準備を進めているところです。

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―国内と海外の展示会では、どんな違いを感じましたか?

そう大きな違いはありません。バイイングの世界はそんなに安いものじゃない。本気で買い付けている人たちの熱気は、日本も海外も同じです。あえて言うならば、日本人特有の曖昧な返事や空気を読むムードがないので、反応がストレート。たとえば「すごくいい。でもこの理由で買えない」と判断も理由も明快です。だから僕も「OK. また来てよ」と気持ちよく言える。服に対してYESかNOか、その判断が欲しいだけなので気持ちがいいですね。

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―では、独り立ちしてコレクションを発表し続けるために必要なものは何だと思いますか?

ずばり、お金ですね。なぜかというと、買い付けをしてくれるバイヤーさん、それを売ってくれるショップスタッフの方々、実際に服を買い求めてくれるお客さま、さらに生地屋さんから縫製工場の方に至るまで、彼らには彼らの生活があるからです。まず僕がそうなんですけど、男だったらモテたいじゃないですか。じゃあ、カッコよくいたいじゃないですか。その想いに応えるものとして、自分の生活費から僕の服を買ってくれるお客さまがいるわけですよね。すると僕自身が生活できて、ショップスタッフや生地屋さん、縫製工場に支払いができる、かつ服をつくり続けることができるわけです。サポート入ります、バジェットあります、だから売れなくても大丈夫です、みたいなことだったら服をつくる必要がない。つくりっぱなし、発表するだけなんて意味がないこと。服を巡る循環を考えた上で、お金が必要だということです。

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―今後、自分の中で変えていくこと、逆に変えないことをそれぞれ教えてください。

変えていくことは「海外のランウェイでコレクションを発表することに対して、リアルに動き始めること」です。そして変えないことは「服をつくるときのスタンス」ですね。僕が服をつくり始めるまさにそのときって、頭の中と感情とが、洋服のパターンとなってアウトプットされる感覚があるのですが、そのときにいつも「時代」を意識しているんです。僕が何をしたいのかではなくて、時代は何を求めているのか、そこで自分は何をしたいのか。服づくりにおけるそのスタンスは変わらないし、変えられないと思っています。

―〈sulvam〉はラテン語で「即興演奏」。また新しい演奏が始まるんですね。

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昔、〈ヨウジ ヤマモト〉が代々木体育館でランウェイを行ったとき、Zeebraさんや三宅洋平さんなどミュージシャンがモデルとして登場したことがありました。ピリついた空気のフィッティングルームで、ふと、だれかが灰皿をカンカンと叩きリズムを取り、ヨウジさんのギターをかき鳴らし、即興演奏が始まったんです。仲間に入りたくてウズウズしたんですけど、素人が混じれば雑音になるだけ。でもプロがやると曲まで生まれるのを目の当たりにしました。服づくりも同じ。僕がパターンに起こしたものが、プロたちの手によって洋服に仕立てられていく。今、ようやくスタッフがひとり入って、次に何がしたいのか、そのために何をすべきかに目が向けられるようになりました。ぶっちゃけ今まで逃げてきたことに向かい合っているところで、これがなかなかキツい。でも多くのプロが挑んできたことだと思うと腹くくって勝負しないと。今、次の即興演奏に向けて、新たにもがき始めているところです。

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