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  • ウツワ UTSUWA
  • 和服の伝統美を洋服に。未来へ繋ぐ米沢織。
  • 2017.02.01 WEDNESDAY

日本には、織物の産地がたくさんあります。そして織物とは幅広く、布も帛もあり、手の力で織ったものもあれば、新しい機械の力に頼ることで生まれる魅力もあります。産地によって異なる歴史や風土があるからこそ、それぞれの個性が際立ち、文化として色濃く残ってきました。例えば丹後はちりめんを、尾州は梳毛ウールの紳士服を得意としています。今治では心地よいコットンタオルが、北陸では合繊のポリエステルを使った繊維が有名です。今回は、産地と呼ばれる中でも北に位置する、山形県は米沢に訪れました。ここにもまた、他にはない美しい魅力が受け継がれています。

Photo : Jun Okada[BE NATURAL]
Text : Masayuki Ozawa

職人を育てる土壌を作った、上杉鷹山公。

米沢織の歴史は、江戸時代の初期にまで遡ります。上杉家の城下町として知られる街ですが、入部は慶長6年、1601年のこと。上杉景勝の重臣で会った直江兼続は、街の整備を行いながら、すでにここで栽培されていた、紅花やからむし(苧麻)と言った特産物に注目していました。

その後、第9代の米沢藩主、上杉鷹山公がこの特産物をたしかな産業として根付かせたと言われています。安永5年、1776年に越後から、布面の細かなしぼを特徴とする、縮織みの職人を招き入れました。縮役場を設け、特産の青苧を使った麻の織り方を、女子に習得させたそうです。豊かな生産力を生かすには、国の産業として成り立たせること。それが富国への活路を見出せると考えました。しかし上杉の故地であった隣国の越後にとって、技術の流出は大きなリスクです。その実現に向けては、様々な困難が伴いました。だからこそ、代々続く上杉家の中でも鷹山公は、いわば米沢のヒーローです。祭神として祀られている上杉神社をはじめ、街のいたるところで、その格別な扱いを感じ取ることができます。

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御廟所の入り口から。奥には歴代藩主の廟が並ぶ。

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皇族の御宿所ともなった上杉伯爵邸は、文化価値の高い建築物としても知られています。今では郷土料理の原点とも呼ばれる、鷹山公の「かてもの」を味わうことができる、希少な料亭です。


国内初の人絹、レーヨンを独学で開発。

上杉鷹山公は、藩財政の立て直しの一環として、桑を植え、養蚕を奨励しました。絹織物もまた、麻布とともに米沢織の基盤となります。そして米沢織に欠かせない歴史に、国内初の人絹の発明がありました。人絹とは、人造の絹糸、つまりレーヨンです。大正4年、シルクに非常によく似た外観と肌ざわりを持つレーヨンを、木材のパルプから製造することに成功しました。それまでは輸入品であり、製造技術が公開されていなかった素材を独力で開発したことが、絹織物の発展に貢献したことは、言うまでもありません。こうした経緯から米沢織には、素材と染めと柄のすべてに繊細な美しさが求められ、着物や袴といったフォーマルな高級服地を得意とするように。そして戦後の洋装化に伴い、生産の幅が広がりました。洋装用の織機を購入すると、国からの補助もあったそうです。

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最上川を上流に、いくつもの河川が枝分かれする米沢。市街から西を向けば山々が連なる。冬はスキー場が賑わうなど、自然に囲まれた静かな世界が広がる。

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苧(からむし)や紅花の栽培が盛んな米沢で、今も美しい紅花を手がけているのは、武士の家、新田家。重ね染めによる芸術的な色相に心が奪われます。


シルクの繊細な魅力を日常着に応用。

ユナイテッドアローズでは、この春から米沢織との取り組みがスタートしました。他にはないジャカードやドビー織りの、美しいシルク混のネイビー生地を、普遍的なテーラードジャケットやステンカラーコートに落とし込みました。生産をお願いしたのは、米沢織を支えてきた老舗ばかりです。今回訪れたエリアは、戦後の条例により、工場を建てることができない、城下町の名残のある中心部。当時そこに住むことができるのは基本的に武士でした。つまり彼らがそのまま機屋になる例が、ここ米沢では少なくなかったそうです。

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シルクにレーヨンやコットンを組み合わせた、ボーダーのジャカード生地をピークドラペルの2Bジャケットに使用。フォーマルな雰囲気です。


丁寧を信条に、職人たちの個性が生まれる。

ジャケット生地の生産をお願いした、ジャカード織りを得意とする(株)安部吉を訪れました。ここでは、フォーマルな呉服などに見られる複雑な模様を表現するために、昭和40年代より、希少なジャカード機を使用し続けています。まるで信号のような穴の数々で指示するパンチカードを送り出すことで、柄を表現するこの機械は、今や大量生産やコスト削減を理由に、コンピュータの電子化が主流になりました。しかし細やかな柄と高貴な風合いの両方が求められるのが米沢織です。ゆっくりと回転する織機を使うことで、コットンやウールなどよりも細いシルクやフィラメントと呼ばれる、極細のポリエステル糸を打ち込むことができるのです。そのスピード感は、1分間で3cmしか機械が進まないことも多いそうです。

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白い穴の開いたペーパーが、パンチカード。(株)安部吉にはこれ以外にももっと巨大なジャカード機を揃え、天井から降りてくるようにカードが流れています。

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シルクだけでも異なる番手を使ったり、毛羽のあるモール糸や光沢のあるフィラメント糸などを組み合わせることで、凹凸のある組織や風合いを表現できる。

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シルクとウールを交織し、ソリッドな表面で仕上げたバルカラーコート。美しい光沢とドレープが特徴です。

同じ米沢織でも、ドビー織りを専門とする機屋もあります。上のソリッドなコートの生地を織り上げたのは、同エリアに構える行方工業(有)です。職人の高齢化問題もあり、手のかかる工程の一部を外注する機屋が増える中、ここは一貫生産にこだわっています。表面がプレーンだからこそ、糸のほつれや色ムラが余計に目立ってしまうもの。糸を織機にかける際に使いやすくするため、糸をただ束ねただけの「かせ」と呼ばれる状態から、巻き取る「かえし」という工程があります。行方工業(有)では、柔らかい糸が静電気などで切れないよう、長い経験からこの工程に木を使い続けています。そして人間の”目離れ”のいい高速自動のレピア織機が主流な中、人間の目で見張る必要のある旧式のシャトル機を16台も揃え、丁寧なメンテナンスと改良を加えながら使い続けています。アナログな個性を生かすには、時間と技術と人を要すため、効率的な大量生産には向きません。質の高いもので勝負、それがプライドにつながっています。

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糊付けされた糸束をコーンに巻きつける「かえし」の作業は織機にかける前段階の作業。繊細な糸を扱うために、木を使用しています。

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縦糸を織機にかける際には、砂を敷き詰めたスペースに糸を巻き取った木枠を美しく手で並べています。1枚の生地にこれだけの本数の糸を必要とするのです。

美しく織られたシルクなどの繊細な生地は、さらに専門的な工場に運ばれ、シワを取り、表情を生み、付加価値を高めることもあります。(株)キハラは主に整理加工を行う、いわば仕上げのスペシャリスト。その高い職人技術は、米沢の枠を超え、イタリアやフランスの広く知られたビッグメゾンからのオファーも絶えません。ユナイテッドアローズで製作したコートは、ここで大きな機械に生地が取り込まれ、糊を抜き、柔軟に仕上げ、撥水加工が行われました。天井の高い大きな工場内で、撥水剤がどっぷりと染み込まれた生地が、波を立てるように再びトースターのような機械に通される巨大なスケールを目の当たりにしたとき、この工程がなくてはならないことを認識します。170℃もの高温で乾燥された後、アウターとしての性能を備えます。

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人の目による入念なチェックが行われています。細かい糸のほつれを瞬時に発見することもまた職人技です。

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撥水剤をたっぷりと浸されたシルクの生地。基本的に肌に触れないアウターとしての用途のみ、こう言った加工が施されます。


”やさしさ”を生むことは、時間をかけること。

機屋の作業は丁寧で、品質は安定しています。シルクやレーヨンを扱う工場は、日本でも今や希少な存在になりました。髪の毛よりも繊細で細い糸は、前述した通り扱いがとてもデリケート。ゆっくり接してあげないと、糸はストレスを抱え、本来の自分の姿形、性格を表現することができないからです。そのため米沢織は、基本的に打ち込みの優しい、古い織機を頼りにしています。控えめで美しい光沢、そして丁寧に織られた無地も柄も、パッと見では気づきにくいものですが、距離を近づけると、その美しさが際立ちます。これ見よがしではない、奥ゆかしい品格、それが米沢織のものつくりの特徴なのです。

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